ムチツジョチツジョ

思考は無秩序 言葉は秩序 趣味と股間は無節操

菊地真カバー版「明日、春が来たら」について


― ― ― ― ― ―


彼女はこの曲を感情的に歌う。

松たか子は自身のデビュー曲である「明日、春が来たら」を、包み込むようにまっすぐ歌っている。
エモーショナルに“歌い上げる”歌唱法とは対照的だ。
聴く者の記憶や心情を呼び起こすような普遍性のある優しい歌声は、時代を問わず誰の心にも届く。
……そんなことを、どこかの音楽ライターが書いていた。

一方で、菊地真はこの曲を、それこそ“歌い上げる”ようにカバーしている。
彼女の声には、慈しむような、懐かしむような、それでいて哀しげな色があるように思えてならない。
この歌唱が普遍性を欠いているというのなら、真はひどく個人的な感情をこの歌詞に託していることになる。
彼女は、いったい何を思いこの曲を歌っているのだろうか。

曲中の歌詞では、甲子園球児の「君」を慕う少女が当時を思い起こしている。
真が自身を少女の姿に重ねているとすれば、「君」はやはり信頼するプロデューサーだと考えられる。
では、サビの「夕立が晴れて時が 止まる場所(をおぼえてる?/をもう一度)」は、どのように解釈するべきだろうか。
夕立とは、夏の夕方に激しく降る雨のことである。
この歌詞世界における「夏」は、甲子園が開かれる季節を意味している。
Aメロの歌詞「スタジアムの歓声」がコンサートでのそれと重なるように、彼女のライブと読み替えられる。
また、「雨」が悲しみや涙の比喩として用いられるのはおなじみだろう。
つまり「一世一代の大舞台での失敗」──無印のドーム失敗エンドが思い起こされる。
けれども「夕立」は晴れたのだ。
悲しみを乗り越えた彼女のこれからのアイドル活動は、輝かしいものになるに違いない──。
……本当に?

  でも、もう今日みたいな思いは、ゴメンなんですボク。
  ううう……

まだ16歳の彼女はひどく臆病で、傷つきやすい。
アイドルをやめるという選択肢が脳裏をよぎるほどに、追い詰められていた。
「言えなかった 永遠の約束」──成功エンドでは明かされた、自分のプロデュースを続けてほしいという願い。
真がそれを口にすることはなかったのである。

  また、街のどこかであったら声をかけてください。
  誰かと歩いていても、気にしないで、ボクの名前を呼んでください!
  ボク…、ずっとその日を待ってますから…。

雨は上がった。それでも、時は動き出さない。彼女が待ち続けている限り。
真は夏に、プロデューサーの影にとらわれたままだ。

  明日、春が来たら 君に逢いに行こう

真が、アイドルをやることの意味──「行動で、なにかを変えること」。
繰り返されるこのフレーズが、季節を乗り越えんとする決意の表れだと信じて。


― ― ― ― ― ―







この文章は、2021年8月に頒布された16歳菊地真ソロ楽曲アンソロジー
『M@KOTO DISCOGR@PHY 16th edition』へ寄稿したものに、一部修正を加えたものです。
主催のみへん様から許可をいただき、公開しております。

※ 購入は以下のリンクより※
makotodiscography.wixsite.com

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あの日の海は



  いつまでたっても 僕が来なかったら
  君は君で あなたの好きなように
  どうか楽しくやっていてください
  どうぞ幸福にやっていてください
  僕の事は忘れてあげてくださいね

       (サーチライト/筋肉少女帯




近所のTSUTAYAがまた潰れた。
気づいたのは閉店から半年は経過してのことだったから、俺に残念がる資格はないように思えた。
ただ、俺の好きな映画はなぜかネットで見れないことが多く、これから唐突に北野映画が見たくなったらどうしようかなあ、と「長年のご愛顧ありがとうございました」という張り紙の前でぼんやり考えていた。

何のアテもなく東京での暮らしを始めたとき、俺はここのTSUTAYAでよくDVDを借りていた。
自分の城で夜ひとり、冷凍フライドポテトを死ぬほど揚げて缶チューハイを飲みながら映画を見ていると、今が人生の最高潮に思えた。
実際は無職が親の金を食い潰して好き放題しているだけで、むしろ最低の時期だったのだが。

  「マーちゃん……俺達もう終わっちゃったのかな?」
  「バカヤロー! まだ始まっちゃいねぇよ」

キッズ・リターン』を見ながら、俺はこのセリフに自分を重ね合わせていた。
学生の肩書きも「新卒」の特権もかなぐり捨てて、俺は何をやっているんだろう。
「終わってない」のは希望だけど、「始まってもいない」ことは恐怖でしかない。
今は何とかやりたかった仕事でメシが食えているけれど、いまだに何も「始まっちゃいねぇ」気がする。ずっとモラトリアムを引きずったままここにいる気がする。
そんな漠然とした恐怖から逃れるすべは、いつだってフィクションか友人だけだった。

俺がときどき語る「友人」というのは、たいていの場合学生時代のサークルの人間だ。
それ以外の人付き合いはほとんどない。
上京した理由の3割くらいは、構ってくれそうな彼らも東京にいるからである。

講義が終われば活動をして、その後は大学近くに一人暮らししている奴の家に集団で上がり込んで、酒を飲んでTVを見てゲームをして馬鹿騒ぎをして、家主の「お前ら今日はもう帰れよお」という悲痛な声を聞き流して、気づけば酔い潰れて眠りに落ちて、目が覚めたらもう昼前で、「最悪の気分だ」「身体が痛え」「こいつん家で朝を迎えると人生無駄にしてる気分になる」と理不尽な文句をぶつぶつ垂れ流しながら各々家に帰る。
そんな最高に最低な、学生らしい毎日を過ごしていた。

卒業後もサークルはゆるくつながり、たまに酒を飲んだり釣りに行ったりと交流が続いている。
俺はこの関係がなければとっくの昔にどこかで死んでいただろう。
俺の人生はクソだが、友人にだけは恵まれた。
本当にそれしか残っていないと、今でも考えている。

何ヶ月かに一度──だいたいの場合俺が言い出すのだが──彼らと愚痴を言って、酒を飲んで、馬鹿話をして、昔話でゲラゲラ笑う機会があれば、これからもなんとなく生きていける。


そう思っていた。


その雲行きが怪しくなったのは、珍しく川谷の奴が自分で企画したオンライン飲み会でのことだ。

「俺さ……ずっと言ってなかったけど……同じサークルの中田とずっと付き合ってて……今度……結婚します」

デカい図体を縮こまらせて申し訳なさそうにボソボソと喋る川谷の言葉に、俺は「なるほどな」とよく分からない相槌で平静を取り繕った。



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「伊藤はさ、川谷と中田の件……気づいてた?」
「私? ぜんぜん……いや、薄々そうかも、とは思ってたかも。なんか2人セットでいることもだんだん増えてたし……しゃけぞうは?」
「んー……2人が同じ地方に行った時に『もしかしたら今後そうなるかもな、だったらウケるわ』とは考えてたけど、まさか在学中からとは……」
「3年以上隠し通してた訳だしねえ……」

あの飲み会から数ヶ月後の土曜夜、俺はLINEのグループチャットで通話をかけながらSwitchのコントローラーを握っていた。
当時、スプラトゥーン2では毎月「ツキイチリグマ」というイベントをやっていた。
フレンド4人でチームを組んで対戦しどれだけレートを上げられるか……というもので、特に予定がなければこうして友人を集め、イベントに参加していた。
といっても、別に誰も上位勢を目指せるほどの腕前ではない。
俺は酒を飲みながらだし、4人集まらないこともしばしばで、その時は別のゲームを始めたりただ駄弁るだけの時間になったりするのだった。
つまり、俺が人恋しさの解消と近況報告と暇潰しの口実にしているだけである。

俺の操作するタコは馬鹿でかい機関銃のバレルスピナーを抱え、伊藤を狙う敵に高台からインクをブッ放した。しかし練習不足もあってエイムが合わず、相手は悠々と伊藤のイカを撃ち殺した。

「ごっめーん助け損ねたー」
「んードンマーイ」

俺は伊藤に雑な謝罪をすると、彼女も適当に返事をした。
なんとか仇を取ったあと、話を続けた。

「まだしゃけぞうはキレてるの?」
「いや別にキレてねえって……でも何かこう……マジかよ、みたいな落胆……は言い過ぎにしても、こう煮え切らない感じはあんだよ……」
そういえば、俺は彼らに一言でも祝福の言葉をかけたっけか。
……言っていない気がする。
「別に普通に『おめでとう』でいいじゃん……」
呆れた口調で彼女はため息をついた。

直後に「あ、でも」と付け足し、
「川谷がさ、就職先決めた理由に『会社の経営理念にメチャクチャ感動したから』とか言ってたじゃん。でも実際は中田を追いかけるためだったんでしょ? 『あの志望動機は何だったんだ』って私が言ったら、アイツが『え、嘘に決まってるじゃん……信じてたの?』とか抜かしたときは──殺すぞって思ったな。アハハハハハハ!」
と声を上げて笑った。

「アハハじゃねーだろ、マジの殺意ですやん」
黙って聞いていた高岸が呟いた。
伊藤は格闘技の経験者──それも結構な実績もあるらしく、彼女の「死ね」と「殺す」の言葉には経験に基づく重みがあると恐怖の対象になっている……という定番の身内ネタだ。

「じゃ、オレ裏取り行ってきまーす」
恋愛話が好きではない高岸は、ローラー片手に敵陣へ突っ込んでいった。
彼は仲間内では珍しく顔も性格もいい人間なので、その気になればいつでも恋人ぐらい作れるはずである。数年前に酷い別れ方をしたのを引きずっているのか、それとも俺ら相手に話したくないだけでとっくにいい人がいるのか。……深く追究する気もないが。

「あ、ちょい待て高岸、今フォロー行くから──うわアイツ3枚抜きしてる」
「いやもう死んだわ。あとヨロシク~」
「特攻隊長ヤバー……」

前線を上げるためスティックを上に傾けながら、俺はもう一口缶チューハイを飲んだ。
アルコールがぼんやりと脳をゆるみ、目の前の対戦ではなくあの時のやり取りに意識が向かっていく。



数ヶ月前のオンライン飲み会で、2人が真っ先に聞かれたのは「なぜ黙っていたのか」だった。
今回彼らが交際を暴露したのも、共通の知り合いによる交通事故的なものがきっかけであり、つまりそれがなければ完全に籍を入れるまで……いや、藉を入れても報告されていたか怪しい。そういう薄情な連中なんだ、あの2人は。

「黙ってた理由? いやー恥ずかしかったし……何より、そろそろ言おうかな、ってタイミングの時にさ、飲み会でしゃけぞうが……」
「え、俺?」
「『ここは恋愛のゴタゴタがなくて心地いいな!』ってすっげえニコニコしながら言ってて……『あ、バレたら殺される』って思って黙ってた」
俺が原因だった。

「ハァ!? 俺がそんなこと言うか?……言うだろうな……言ったかも……言ったんだろうな……」
悪かったよ、と謝ったが、微塵も心が込もらなかった。

「で、どうすかしゃけぞうさん。今回の感想は」
メンバーの一人が囃し立てる。
「いや……せっかくのサプライズなんだから、川谷がカミングアウトしてる途中で中田が席を立って同じ画面に映るとか、そういう演出を──」
「そういう話じゃなくて」

じゃ、せっかくだし私そっちに行くわ、と中田が腰を上げる。
案の定同じ家で別々に参加していたらしい。

川谷のカメラの横から中田が出てきたのを確認すると、俺は自分なりにまとめようと試みていた話を始めた。
「わあってるよ、2人の交際についてだろ? 俺はさぁ……」
参加している10人前後の視線が自分に向いているような気がした。実際はカメラ目線でしかないのだけれど、複数人でのビデオチャットはこういう風に一人が演説をするような形になるせいで、気疲れを起こす。

「こう……このサークルを……『飲酒可能なネバーランド』だと思ってる訳よ」

うわまた意味のわからんメンドくせえこと言い出したよこいつ、的な空気をひしひしと感じる。実際の空気自体は自宅のものであるはずだが、こんなものまで送受信できるなんてZoomってスゲえな。言葉を続けるのが怠くて妙なことを考えて逃避に走る。

「要するに、永遠に男子小学生でいられる場というか──誰もが自由で──しっちゃかめっちゃかな生き方をしている自分の最後の砦というか──それで、俺はここを社会から切り離された楽園だと信じていたら、その内側で『家庭』という最高に社会的なものが築かれることを知って、ああここもネバーランドじゃなくて社会なんだ、自分はピーターパンじゃなくただの道化を演じる気の触れた爪弾き者のアラサーのおっさんだったことを思い出したというか──」

静寂。
最悪だ。殺してくれ。

「いや、まあ分かるよ」
岩崎が沈黙を破った。
「俺だってこいつらが黙ってたことに水くせえなってムカつくし、まあそれはそれとしておめでとうとは思うし……なにより俺は、今でもここを、えっと、飲酒可能なネバーランド?だと思ってるよ」
それじゃダメなの?と彼は穏やかに聞いた。

いや、そうなんだけど、そうじゃなくて……と俺は曖昧な言葉しか返せない。
岩崎は同期のなかでも特にイカレている3人のうちのひとりで、在学中は数々の(ろくでもない)伝説を残してきた。そんなアイツもすっかり丸くなり、俺のせいで白けた場を取り直そうとしてくれていた。彼の世渡りの上手さがこのサークル内で生かされることは珍しい。
いつかの酒の場で泥酔した俺が「お前みたいな奴のことは嫌いなんだけど、お前のことは大切な友達だと思ってんだよ」と語ると、「お前酔うたびそれ言ってるよな」と笑われた。

岩崎の問いに答えようと、少しの間俺は考えをまとめようとしたが、どういう答えになったとしてもこの祝いの場にプラスにならないことにようやく気づいた。
「もうやめようぜ、この話は。それよりさ、二人は実際どのタイミングで付き合い始めてたんだよ。あの地獄の10時間ドライブ旅行の時あたり? 答えろよ夫婦ども」
「え? ああ。えーっとどうだったかな……」と川谷。
「ん、もう付き合ってたよ」と中田。
うわー、と声が上がる。
「マジかよ、それじゃああの時のさ──」
惚気話と昔話で、夜は更けていった。

昼過ぎに目を覚ますと、とっくにZoom会議は終わっていた。
スマホの通知には、サークルのLINEグループに「黙ってて申し訳ありませんでした!俺と中田は結婚します!」と川谷から改めて報告のメッセージが送られていた。
飲み会に参加していなかった面々が、次々に祝福のスタンプを送っていた。なかでも最初の、「Congraturation! Congraturation!」というカイジの黒服のスタンプが目についた。送り主は、前述の狂人三人衆のうちのひとりで、もっとも社会性が欠如している佐々木だ。
それがなぜかたまらなくショックで、スマホを布団に投げつけたあと水を飲み、割れるように痛む頭を抱えながら夕方まで眠り直したことを覚えている。



ツキイチリグマの2時間は過ぎた。高岸が明日は早くに予定があるということで今日は解散になったが、最後に俺は伊藤に気になっていたことを尋ねた。

「伊藤はいつ籍入れるの?」
「んー、とりあえず年内かなー。式はしないけど」
「ホントかぁ?『伊藤は友達が多いから、このサークルに所属していた汚点を隠すため絶対に俺らを結婚式に呼んでくれない』って佐々木が……」
「やるなら呼ぶわ! ってか懐かしいなその話!」
「そういや1年生のとき、佐々木が『このサークルは彼女できたヤツ退部だからな』とか言ってたな。それで岩崎が『お前を退部にしたほうが早いじゃねえか』って斬り捨てた……」
「あったね~。……あのさ」
「おう」

彼女は改まって言った。
「たぶん近いうちに結婚するだろうけど、飲み会とかこういうスプラ会とか、遠慮せず呼んでくれると嬉しいです……あ、彼氏にもちゃんと許可取ってるんで。『マジでこの集まりはそういうんじゃないから』って」
「……了解っす」

伊藤のこの言葉が、いつぞやの「飲酒可能なネバーランド」発言のせいだったら申し訳ないな、と考えつつ俺は了承した。
そうは言っても、どうしても遠慮してしまう。独り身とはワケが違う。
家には帰りを待つ人がいるのに、俺のワガママで居酒屋に連れ回すのは許されない。

通話を切った。
俺がピーターパンごっこをしているのには、他にも理由がある。
友人たちが、人との繋がりを保てる場としての「ネバーランド」を運営したかったのだ。
だがそれも、単なる杞憂だった。


別の夜。
サークルの同期とサシで飲んでいると、話題が尽きた頃に彼は「彼女が……できまして……」とつぶやいた。
彼は冒頭にあったように部屋をメンバーの溜まり場にされていた奴なのだが、その押しの弱さのせいで社会人になってもブラック現場で毎日死にそうになっていた。サークル内では上からも下からもオモチャに……もとい、慕われていた。
同棲を始めるとのことで、高岸と共にアイツの引っ越しを手伝いに行くと、彼はクイーンサイズのベッドを買っていた。俺は思わず「はしゃぎすぎだろ」と言葉を漏らし、笑ってしまった。
しかし同棲を始めた以上、もう彼の住む家でクソみたいな年越しをする機会は訪れないことを悟り、俺のモラトリアムにトドメを刺された気分になった。
何にせよ、彼はもう大丈夫だ。

また別の夜。
自室で一人酒を飲んでいると、後輩からTwitterのDMで「彼氏ができました!」と報告を受けた。
彼女は俺と同じようにインターネットのろくでもない文化に身を浸している女だが、俺と同じぐらい生き方が不器用でたびたび気にかけていた。その連絡を受けて俺は心から喜んだ。
だがその喜びというのは、彼女の幸福に対してよりも、「恋人ができたことを報告される程度には自分が『先輩』として振る舞えていたし、認められていた」ことに対する安堵というか自信というか、そういう利己的な何かがあるような気がして、また少し自分が嫌になった。
何にせよ、彼女はもう大丈夫だ。


俺が勝手に心配していた親愛なる友人たちは、俺の知らないところでちゃんと幸せになれていた。
別に「恋人ができたから幸せ」という単純な話ではないだろう。
だが、彼らを心から理解してくれる人がいたことがたまらなく嬉しく、同時に俺が彼らの人生の助けになることはなかったことを知って虚しくなり、何より初めて自分がそんな風に自身の存在意義を作ろうとしていたというグロテスクな思考回路に気づかされて……ああ、吐きそうだ。
ただ俺は、このサークルに依存していただけなのに、他人のためと正当化して、気づけば一人で死ぬのだろう。
「彼らに幸せになってほしい」この気持ちだけは嘘ではなかったと信じたい。
だって、それさえなくなったら……俺には、もう、何も残らないではないか。
川谷と中田の件だってそうだ。
大切な友人が信頼できる女性と、大切な友人が信頼できる男性と、好き合って結ばれたのだ。この上なく幸福なことだと、やっと理解できた。
ただ、「ここ」がそういう場所だと思っていなかったから、ビックリして飲み込むまで時間がかかっただけだ。おめでとう。俺も嬉しいよ。お幸せに。別れたら殺すぞ。


俺はもう、自分から飲み会を開くことはない。ただし孤独には耐えられないから、他の人間が企画したものには必ず参加している。
新しい友人を作ることは、酷く億劫だ。さもなくばそのうち自分が壊れてしまう予感はあるが、「別に壊れてもいいか」という気にさえなっている。いや、あるいは既に──。

自分の振る舞い方を、あるいは終わらせ方を、考え直さなければならない。
そんな時だ。
中学からの付き合いである三上に「そろそろ実家に顔出すんだけど飲めるか?」とLINEを送ると、「車出すからどうせならどっか行こうぜ」と返信があったのは。



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実家は東京からうんざりするほど遠い。
交通費は往復で数万を超えるだろうし、増えない収入に日々喘ぐ俺には頭痛の種だ。
だから極力費用を抑えるため、年末年始や行楽シーズンを外して帰省する。
そのほうが仕事を休むよりも金がかからないぐらいだからだ。
しかし、そんなことは些細な問題だ。
たとえ金銭的な障害がなかったとしても、俺は可能な限り実家に行きたくなかった。

単純に、苦痛なのだ。
母と二人、家で過ごすことが。

俺は色々なものを地元に置いて家を飛び出した。
責任とか、将来とか、付き合いとか、まあ……色々なものだ。
もちろん就きたい仕事が東京にしかなかったというのもあるが、それ以上に、母親との二人暮らしに耐えられなかった。息苦しさのあまり死にそうだった。
だから学生時代は家に帰らず友人と飲み歩き、彼らの家で寝泊まりし、逃げようとした。
サークルの人間といるときだけ、呼吸ができるような気がした。

別に母に非があるわけではない──直接は。
父とは違い、俺を俺の好きなように生きさせてくれている。
尊敬も感謝もしてる、と思う。
ただ、駄目なのだ。
「家庭」というものが。「家族」と呼ばれる共同体が。
誰かと暮らしをともにするという行為が、グロテスクなものに思えて仕方がなかった。

きっかけは決まっている。父の不倫だ。
正確に言えば、父と母による不倫だ。
俺は、既婚者の父が母と不倫したことで生まれた子供だ。

その事実は、父の死に際に知らされた。
出会った頃には既に父は別居中だったとか、父の妻は精神的に問題を抱えていたとか、母からいくつか言い訳を聞かされた。
それらは大した問題ではなく、俺という存在がこの世に生まれたことで一つの家庭が潰えたという事実がすべてだ。
その家庭には子供もいたそうだ。
父はすべてを放り出して、誰かと一緒になって、新しい子供──俺に何を説くつもりだったのだろう。何を説いていたつもりだったのだろう。
それが知らされる前から俺は、彼が嫌いだった。
人の話を聞かず、自分の思い通りにならなければ他者に当たり散らし、外面だけは良かったあの人間が。あの傲慢さが。
もっと根源的な、理屈で説明できない嫌悪感が、そのとき初めて形となった気がする。

血の繋がりからは逃れられない。
親子とか兄弟とかいう関係性は、動かせない「事実」としていつまでも残る。
だが友人関係はいつでも絶えてしまう儚いものだ。だからこそ、尊いと思った。
大切にしたかった。

友人が結婚することには祝福するが、友人同士が家庭を築くことに拒否反応を起こすのは、やはりあの男譲りの俺の傲慢でしかない。
不機嫌をあの場でも振りまいてしまった。
友人関係よりも恋愛関係を、恋愛関係よりも家族という関係を望んだ彼らに、自分という人間を否定されたようで──。

だがあの二人なら大丈夫だ。
なんと言っても、俺の友人だからだ。あの男とは違う。
繰り返しになってしまうが、傲慢ついでに祈らせてくれ。幸せになれと。



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話が逸れすぎた。
三上の話をしよう。

アイツとは中学校の頃の同級生で、部活も同じだった。
ひょうひょうとした男で、意図的に無神経な発言をするような、タチの悪い冗談を好んでいた。悪ノリが服を着て歩いているような奴だ。
しかしラインを見極めるのがうまいのか、本当に彼に怒りを向けている人間はいなかった気がする。
どこでウマが合ったのか自分でも分からないが──漫画の趣味の良さと冗談の趣味の悪さだろうか──俺らは、二人でよくつるんでいた。


中学2年の夏だったか、適当な道を選んで、「この端まで行こうぜ」と自転車を走らせる無意味な遊びが二人の間で流行っていた。
それもマンネリ化してきて、休日の朝に目的も決めずに集まったあと、俺が「どうせなら海行こうぜ、海」と言うと、三上は「おう、それいいな」とノってきた。
旅行者向けの地図を片手にチャリを走らせ、部活や漫画や教師やゲームの話をゲラゲラ笑いながら話した。行ったことのないブックオフがあれば探している中古漫画やゲームがないか調べ、立ち読みした。さらに道を進むと、地図の果てまで来て道が分からなくなった。道路標識もなく辺りには田んぼしかない場所だった。勘で進む先を決め、「このまま帰れなかったらめっちゃウケるな」と二人でまた笑った。14歳の俺らは反抗期真っ盛りで、怖いものなど何もないような気がした。たぶん、何も考えていなかっただけだ。

それからしばらく、何度も道を行き戻りして、奇跡的に海に着いた。
潮の香りが鼻をくすぐる。
波の音が静かに響く。
「じゃあ……帰るか」
「おお」
どちらからともなくつぶやいた。
遊泳もできない、景観も良くない、ただの汚い海。
行くことが目的であって、そこで何かするつもりは毛頭なかった。
往路はあれだけ大騒ぎしながら行ったのに、帰りは疲れもあって二人とも無言で自転車を漕いだ。
日はとっくに暮れていて、辺りが真っ暗ななか朝の集合場所まで戻ってきた。不思議と迷わなかった。
「じゃ」
「ほい」
雑な別れの挨拶を交わす。どうせ月曜日になれば、嫌でも顔を合わせる。
翌週学校に行くと、どこでかは分からないが馬鹿みたいにスピードを出している俺ら二人を偶然体育教師に見られていたらしく、呼び出されてぐちぐちと説教を食らったことを覚えている。


アイツとは高校と大学は別の学校だった。
俺は学校が変わればほとんどの人間関係のつながりを断ってしまう性格なのだが、三上とだけは付き合いを続けていた。
理由は単純で、あいつに漫画を貸していたからだ。
何ヶ月かすると三上から「返すわ、他になんかある?」とメールが来て、俺が適当に漫画を見繕ってタイトルを教えると、「次それ貸して。じゃあ来週」とだけ返ってくる。
翌週の土曜14時(特に指定がなければ決まってこの曜日と時間だ)、三上の家まで漫画を持って行って、貸していたものを回収して、折り目や汚れをつけられていることに俺が文句を言って、「お前そんぐらい気にするなよ、俺ら友達だろ?」「押し付けがましい使い方はやめろ」とお決まりのやり取りをして、あいつが貸した漫画を読み始めている間に俺は彼の家のカイジを読んで、飽きたら帰る。
そんなことを大学時代までもぽつぽつと続けていた。
ハタチを超えたら酒を飲むこともあったが、俺らの関係のだいたいは漫画とゲーム、たまに映画だ。

俺が上京してからも、アイツがこっちに来るときは二人で飲んで翌日東京をぶらぶらし、俺が帰省するときもやっぱり二人で飲んでアイツのクソ寒い部屋で凍え死にそうになりながら夜を明かし、腐れ縁は相変わらずだった。
しかしその後、「入籍しました」と報告があった。
俺の記憶が正しければ、その女性は結構関係を長く続けていた相手だったし、しばらく同棲もしてからのことだったから、「おおそうか、おめでとう」と素直に祝福の言葉をかけた。
彼は(俺と違って)そういったライフステージのステップアップはそつなくこなせる人間だと思っていたから、驚きはなかった。
長年の友人の幸福ということでめでたくもあったが、「ちょっと飲みには誘いづらくなったかな」という心残りは黙っていた。

だから今回の帰省にしたって、三上に声はかけたものの、「新婚の旦那さんをいつまでも借りてく訳にはいかないから、酒の席も2時間ぐらいで退散しないとな」と気を遣うつもりだった。
彼の職場は激務だし、都合がつかなくて断られることも十分ありうる。
独り身でヘラヘラ楽な生き方をしているのは俺だけで、みんな自らの人生を懸命に生きているのだ。
彼にフラれたら急に仕事が入ったことにして帰省はやめようかな、なんてことを考えてた時に返ってきたメッセージが、さっきの通りである。
「その日だったら昼から休めるし、ドライブして温泉とか行っていい感じのもの食おうぜ」とのことだ。
そのとき俺は、彼との関係を「腐れ縁」「悪友」「クソカス」から「親友」と呼ぶことに決めた。
そうでなくとも、アイツとは人生の半分以上の年月で付き合いがあるんだったな、なんて考えると少し涙ぐんでしまいそうなくらいだった。



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「おっす」
「うっす」
2年半ぶりの挨拶とは思えない言葉を交わして、俺は実家の裏に停められていた三上の車に乗り込む。
初夏にしては肌寒い日だった。
助手席に座り腕をさすりながら、「お前、俺ん家覚えてたんだな」と驚きを伝えると「そりゃまあ」と事もなげに言われた。
「ってか君が上京する前日も行ったじゃん、君ん家」
「そうだっけ」
「そうだろ、なんなら泊まったし」
「あー……それもだいぶ昔だしなあ」
そう言ってから、そもそも俺も彼の実家を普通に覚えていることに気づいた。
ドアを閉めると、軽自動車はゆっくりと走り出した。

「あ、これ東京土産」
「うっす、あざーす」
「ご結婚おめでとうございます」
「ども」

後部座席に土産の菓子を放り投げながら、俺は「どうよ、新生活は」と尋ねた。
「別に同棲中と変わらんよ。引っ越して住む土地が変わったことの変化のほうがデカいかも」
「ああ、あのクソ寒くて家賃がバカ高いクソ物件ね」
「嫁にも罵倒された」
「でしょうね……式は?」
「家族だけ」
「まあそんなもんか今時。友達もそうだったわ」

窓から流れる景色を見ながら、ありきたりな会話を続けた。
数年ぶりに見る町並みは想像以上に変わっていた。「あのレンタルショップは」「あの塾は」「あのラーメン屋は」と聞いたが、いずれも「何年も前に潰れたよ」という答えが返ってきた。廃れゆく地方都市のベッドタウン……いや、どこも同じか。俺は東京のTSUTAYAを思い出す。


1時間ほど走らせたあと車から降りると、ベッドタウンを通り越してゴーストタウンのような場所に着いた。辺りには人っ子一人おらず、「ここの焼肉が安くて美味いんだ」と話しながら歩く彼の後ろ姿に一抹の不安を覚えた。
その店が美味かったことは確かだったが、「脂が重かったかもしれない」と本音を吐露すると「俺もだ」と悲しそうな声で三上もため息をついた。順調に俺たちはおっさんになっている。


また十数キロ車道を進むと、アイスクリーム屋についた。
周りには建造物もなく原っぱしかないようなところだったが、人気店らしく結構な行列があった。
適当に味を選ぶと、三上に「あ、それ俺が前選んだやつ」と言われた。
「前って、誰かと来たのか?」
「嫁と。そんときはまだ交際中だったけど」
「ふーん……ちょっと待て、もしかして今回のルートってそのデートプランのリサイクルなのか?」
「……いいから早く食おうぜ」
図星らしかった。この野郎、と思ったがどういう感情を向ければいいか分からなかったので、お前なあ、とつぶやいてからグレープのアイスをかじった。
高校時代だかに彼と劇場版TRICKを見に行ったとき「普通に友達と映画に行くのなんて、もう何年もなかったな」と言われた。
俺は「なんだよ、友達少ないのか?」と煽ると「そうかも……あ、もちろん女の子とはよく行くけどさ」と急にナイフで刺された気分になった。奴はモテるのである。俺には「映画はデートで行くもの」という発想がそもそもなかった。


次に俺らが向かったのは温泉だった。
高校時代、共通の友人に連れられてスーパー銭湯に通っていたことを思い出す。彼と絶縁状態になってもう10年以上になったが、最近子供ができたらしいことを三上から聞いた。あの女嫌いが普通に幸せな家庭を築くのだから、10代の主義主張のなんと不確かなことよ、と独りごちる。
露天風呂に浸かりながら話す内容は、カネと仕事の話ばかりだった。「君もインボイス大変なんだろ?」「まあな、特に俺の業種だとマジで収入が1割吹っ飛ぶ」そんな話をしたくて旅行に来た訳じゃないのだが、三上の愚痴を聞いてやるには「俺も彼に仕事の愚痴を言ってお互い様にする」という大義名分が必要な気がした。
理解のない上司と不真面目な部下の板挟みになっている三上の話を聞きながら、「ああ、お前はすっかり大人だなあ」とつい本音を漏らしてしまった。

「なんだそりゃ?」
三上は笑う。
「俺はダメだよ、いつまで経っても大人の自覚なんてできない──今でも中学生で精神年齢は止まってんだよ。意味もなく何十キロも海までチャリ漕ぐようなバカだった、あの頃のままさ」
俺は言葉を続けようとしたが、のぼせかけた頭ではうまくいかなかった。

「俺も同じだよ」
三上は言った。俺は驚いて彼の顔を見る。
「この前だってさ、部下の態度についカッとなって怒っちゃってさ……大人の対応っつーか、自分のコントロールとか他人との付き合い方をもっとうまくやらなきゃなのに」

俺はうつむき、湯船に写る自分の顔を見る。水面はゆらめき、どんな表情をしているかは全然わからない。
「大変だな」おれはその言葉をかけるので精一杯だった。「でも、十分偉いよ」と続けると、会話は途切れた。


違う、違うんだ三上。
そんなことで悩めるお前は大人なんだ。俺はクソだ。
仕事はいつまでもバイト感覚だし、親の介護や自分の老後に向けた資産形成なんて1秒だって考えたくないし、友人に依存して自分の人生を見ないフリしてるだけのカスなんだ。

三上、お前は海を見に行ったことを覚えているか。忘れちまったかな。
恋人をエスコートするだとか、部下を教育して現場の戦力にするだとか、古い友人をもてなすだとか、そんな大層な意味もなく見に行ったあのきったねえ海をさ。
俺も景色は大して思い出せないけどさ、お前と行ったことは覚えてるんだよ。バカだったなあって。

三上、いつから俺のことを「君」なんて呼ぶようになったんだっけな。
初めて聞いたときは笑いそうになったけど、だんだんと焦りを感じてきたんだ。
いいだろ「お前」で。妙な配慮なんかするなよ、俺ら友達だろ? 俺はお前を「お前」って呼び続けてるが、もしかして不快なのか? 怖くて聞けやしねえ。

一生バカなまま死にたいんだ、俺は。
でも、もうバカなことをする気力も体力も失われつつあって、ただの愚鈍な男が残って、何もかも面白くねえんだよ。世の中も、俺自身も。


「そろそろ上がるか」
「……そうだな」

温泉施設から出た後、俺は何となく近くの景色の写真を撮った。
せっかくの旅行だというのに天気は悪く、晴れていれば開放感があるだろう緑あふれる自然も、ぶ厚い雲で空に蓋をされ色あせていた。
なんだこの写真?とスマホを見ながら俺はぼやき、三上が待つ車に戻った。


車はゴーストタウンを通り過ぎて、窓の景色はぽつぽつと見知った町の姿に変わっていった。
「あとどっか寄りたいとこある?」
「んー……」
俺は少しうとうととしながら考えた。
「ねえわ。ここが嫌いだから東京行ったんだし」
「それもそうだな」
また無言になる。
昔、彼の家で漫画を読んでいる時間の沈黙は苦痛を感じなかったはずなのに、今は何となく重苦しく感じるのは──きっと俺のせいだろう。

「あ」
「どうした」
「あそこってまだある? 学校近くのショッピングモール」
「え? ああ、あそこ……あるよ」
「あるのぉ!?」
「何だよその反応! テナントはだいぶ変わったけど」
「行きたい」
「なんでだよ」
「行きたい!!!」
「分かった分かった」

三上はハンドルを切る。
なぜ唐突にそのモールの存在を思い出したかはよく分からなかった。
別に思い出の場所という訳でもなかったはずだが。


そのショッピングモールは相変わらずこのベッドタウンの中心のような顔をしていたが、それはあくまで見た目だけらしい。夕方だというのに中の利用客は思っていたよりもずいぶんと少ない。

「うわ、このファストフード店まだあんのかよ」
「そういやずっとそうだな」
「どうせならあっちのチェーンにしろよってずっと思ってたわ」
「それな」

「俺がいた頃にもう潰れたけど、ここの本屋好きだったんだよ」
「へえ。GEOの記憶しかねーや。この辺じゃ唯一遊戯王パックのサーチができたんだよ」
「そういやお前は学校終わりに公園とかでやってたな……他のデュエリストどもも元気かねえ」
「あいつとかは成人式以降会ってないな……家近くだし行ってみるか? 窓ガラス叩いたら出てくるかな」
「やだよ……年齢考えろよ」

「実はさ、もう漫画もゲームもやってないんだよ。嫁がいい顔しなくて」
「へえ、そうなん」
「もうケンガンオメガしか読まなくなっちまったな……」
「むしろなんでそれはまだ読んでんだよ!?」
「バカかお前、ケンガンは最高の漫画だろ?」
「いや別に面白いことは否定はしねえけどさ……そういやハンタの話もしまくってたな」

「ゲームはしないけど、最近はポケモンの昔の対戦動画見まくってる」
「やめろよ、三上とポケモンの話したくねえよトラウマなんだよ」
「お、俺の襷あやぴかシャンデラの話?」
「やめろよホント。どんな人生歩めばいばるゲッコウガなんて採用しようと思うんだよ」
「でもお前のポリ2それで突破されたじゃん」
「だからトラウマなんだよ!!」

久々に馬鹿馬鹿しい話ができている気がした。
いつまで経っても俺の話題の引き出しはゲームと漫画と内輪ネタしかなくて、三上はとっくに卒業したのに俺に合わせてくれているだけなのだろう。
それでも楽しかった。
モール内の中華で馬鹿話をしながら飯を食って、そのまま家まで送ってもらった。
俺は車を降りたあと、パワーウィンドウが下がった助手席に顔を突っ込みながら俺は行った。

「じゃ、奥様によろしく。新婚だってのに休日旦那さん連れ回して申し訳ないし」
「ん? 嫁は普通に仕事だったから別に……また東京行くことあったら連絡するわ」
「おう、またな」
「ああ」

走り去る彼の車を見ながら、「もう三上と会うのは何度もないかもしれない」という予感めいたものを感じていた。


-----


三上からまた連絡があったのは、俺が東京に戻ってから1週間後のことだった。
仕事が終わって一人自室で酒を飲みながら、ゲームをする気力もないし寝ちまおうかと考えていた矢先である。
突然めったに鳴らないLINE通話の音がスマートフォンから発せられたのだ。
俺はiPhoneに表示される友人の名を見て、「まさか、やっと気づいたのか」と思いながら画面をタップして電話を取った。

「どした」
俺は開幕ぶっきらぼうに言ってみる。
「いや……あのう……どうも」
歯切れの悪そうな感じで三上が挨拶をした。
「そのですね、ちょっと今、君の東京土産のお菓子の箱を開けたんですが……」
「おっせえー。賞味期限大丈夫だっけ?」
「ああうん、全然大丈夫……最近忙しくて……その箱の中に……結婚祝いが入っていましてね……」
フン、と俺は鼻を鳴らす。
「おお、てっきり箱ごと捨てられたかと思ったわ」
「……ありがとうございます」
「ほい、おめでとうございます」
正面から渡すのが何となくはばかられて、菓子のパッケージの中に忍ばせておいたのである(ちょうど仕込んでもバレにくいタイプの箱だった)。

三上は「いやあ、しかもこんなにたくさん……」と恐縮しきったような声だった。
実際俺は、式に出ていない人間が送る額としては相場より高額らしい金を包んでいた。
「いやあ、別に。これから入り用だろ」
稼ぎは少なく暮らしも楽では全然ないけれど、俺の人生にはもう、友人に見栄を張るぐらいしか金の使い道がない。
そういえばサークルの友人に彼女ができたと初めて聞かされた飲み会も、ほぼ無意識のうちに奢っていた記憶がある。一次会でも二次会でも。
俺はそうすることでしか、ちゃんと喜びを伝えられない気がした。

三上は話を続けた。
「めちゃくちゃビビって……嫁に『電話しなよ』って言われて」
「そうかい」
「……明太子とか好き?」
「え、突然何の話?」
「なんか送るわ」
「いいよ別に、そういうつもりじゃないし」
「いいからいいから」
「いいからいいから」
しばらく無駄な遠慮合戦を始める。結局俺は「適当でいいよ、ホント」と折れた。

「日本酒とかどう?」
「あんま好きじゃねえなあ……せっかくだから地元らしいのがいいわ、飯でも酒でも」
「ウィッス。とりあえず、なんかいい感じの探しとくわ」
「んー、期待しないで待っとくわ……じゃあな」
俺は通話を切った。
本当に「お返し」というものを想定していなかった。余計な気を遣わせる金額にしたのはかえって失敗だったかな、なんてことを考えつつスマホを机の上に置いた。


彼からまた連絡が来たのは、その数か月後。「やっと式が終わった」「ビールはどう?」とLINEのメッセージが来た。
ずいぶんと忙しかったらしい。俺には縁がない話なので、別業界の職業論のような気持ちで話を聞くことにした。
俺は「お疲れさん」「うちの地元のクラフトビールってなんか有名なのあったっけ?まあ好きだしありがたいわ」とそれぞれの話題に返信した。
それから、式に対する親との価値観の違いや高額な費用などの愚痴を聞きながら、彼がずいぶんと遠い存在になったような感覚に再び襲われた。
それでもまあ、俺のはした金が彼らの幸せの足しになったようなら十分だ。自己満足でしかないのだが。
「じゃあ、クラフトビールの詰め合わせを送りました」
彼からのメッセージに感謝のスタンプを送り、俺は届くまでにビアグラスを買う算段をつけていた。


翌週。彼の指定した日時では自宅で受け取ることができなかったため、俺は数百メートル先の宅配ロッカーに届け先を変更した。
これが間違いなく失敗だった。しかし俺は内心浮かれていたため、正常な判断を下せなかった。日を改めることなく、一刻も早くその内容物を拝みたかったのである。
ロッカーから想定より一回り大きい段ボール箱を取り出した瞬間、俺の両手は尋常じゃない重みに悲鳴をあげた。
「あいつ、どんだけ送ってきたんだ……!」
俺は悪態をつきつつ、よたよたとふらつきながら家まで歩き始めた。
その道すがら、俺は前に似たような経験をしたことを思い出していた。

あれはそうだ、上京してから今の家に引っ越してきた直後のことだ。
俺は近くのホームセンターで電子レンジを買ったが、「このぐらいなら持てるだろう」とたかを括り、配送料をケチって家まで持って帰ろうとした。
しかし想像以上に俺の腕は貧弱で、膝を使ったり顎で支えたりと必死に腕を休めながら半泣きでうろ覚えの自宅まで歩いたのである。
……そうだ、また思い出した。
家に着いたら俺は、すぐに最寄りのセブンで冷凍の焼きおにぎりとからあげと缶チューハイを買ってきたのだ。
乱暴に箱を開けて取り出したレンジをコンセントにつなぎ、冷食を温め、缶のプルタブを開けて、まだ封も開けていない段ボールを机代わりにして貪り食った。
その時俺は、初めて呼吸ができたような気持ちになった。
自由だ、自由なんだ。もう息苦しくない。
そんな思いを抱えながら、寝袋にくるまって眠りこけた。

この話は確か三上にもしていたはずだ。
あの時彼はまだ実家暮らしだったからか、しきりに「うわ、それめっちゃいいなあ」と羨ましがっていた。
ビールが届いたことを報告する際に、せっかくなら同じ飯を写真に撮って送ろうと、俺は腕をプルプルさせながら計画を立てる。

やっと我がボロアパートに到着した。
身体を使って荷物を壁に押し当てて両手をフリーにして、痺れてほとんど力が入らない手でカギを開ける。
倒れ込むようにして段ボールを部屋の床に置くと、すぐにコンビニに向かった。

あの時から多少パッケージは変わっているものの、焼きおにぎりも唐揚げも店内に並んでいた。あの時は持っていなかった電子マネーで会計を済ませ、すぐに家に戻る。

レンジに冷凍唐揚げを放り込んで、テープを剥がし、ワクワクしながら段ボールを開けるとそこには──。


「あいつ、バカじゃねえの!?」


思わず叫んだ。
クラフトビールクラフトビールでも、普通に酒屋で売ってるようなものの詰め合わせが入っていた。

今になって思えば、結婚祝いのお返しの贈答品なんて、地方色を出さなくて当然である。お土産じゃあるまいし。
だがあの時の俺はすっかり「地元らしい」ものが送られると思っていたし、実際口頭でもLINEの文面でもそれを伝えていたわけだから、希望を裏切られた俺は部屋で一人ゲラゲラ笑い続けた。

箱にギッチリ詰まっている中から、特によく見知っている「インドの青鬼」を引き抜いてプシュリと開け、ぐっと呷る。美味い。コンビニで買うのと、同じ味がして。
缶を片手に、「地ビールかと思って開けたら爆笑したわ」と写真付きで送った。数分後、「地元らしさなしだな笑」と他人事のような返信が来る。
「いや美味いことは確定してるだろうから別にいいけどよお」とフォロー半分イヤミ半分で伝えると、「俺ってこういうところ変だからな…」と反省とも冗談ともつかない言葉が来た。
「自分で言うなよ、そういうのも変わんねえな」と俺は苦笑する。


そこで、はたと気づいた。
そうだ。彼は何も変わっていない。
俺が勝手に変わったと思い込んでいるだけだ。
俺が恐怖混じりに扱う「大人」という要素は、その人が持つ「子供」が変質してできたものではない。
ただ、付け加えられるものなのだろう。
人は大人に「変わる」わけではない。
15年経っても、あいつと汚ねえ海を見に行ったことはなくならない。
ただ、違う時間を、違う肩書きを、違う人生を積み重ねていっただけ。


また用事ができたら東京に行くわ、という三上のメッセージに「色々落ち着いたらな」と返し、何となくやり取りが途切れる。これもまた、昔からのパターンだ。LINEにしろEメールにしろ、「じゃあな」と会話を打ち切るメッセージを送った記憶がない。
ふと中3のころ、金曜ロードショータイタニックをEメールで彼と実況したのを思い出した。あの時の通信費はどのぐらいかかったのだろう……。

レンジの中の唐揚げはすっかり冷めていて、温め直すのも億劫でそのままビールのつまみにした。
面白おかしい気分のまま酒盛りを続けたかったが、明日も仕事だからと適当なところで切り上げて眠りに落ちる。
これはこれで、俺も大人になれたという証だろうか。



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それから数ヶ月経っても、俺は何も変わらなかった。
当然だ、目標も何もないのだから。

同じように死んだ目で仕事をして、同じように飯を食い、同じようにスプラトゥーン3の集まりを開く。
その時の話の流れで、伊藤が飲み会を企画した。
顔ぶれはいつも通り。
リアルで会うのは卒業以来のヤツもいたが、そいつとも毎月通話しながらゲームしてるせいで懐かしさは皆無だ。

知らないうちにすっかり出来上がっていた宮下が絡んできた。
「先輩! こんどウチ来てくださいよ! 彼氏に先輩紹介したいんですよぉ!!」
「いや別にいいけど迷惑だろ……向こうもなんで彼女の学生時代の先輩を紹介されなきゃなんねーんだって感じじゃん」
「しゃけぞうさんは私の恩人なんですよ!!」
ラクな単位教えたぐらいで恩も何もないだろ」
「エッひどい!!! 式も呼びますからね!! サークルの他の連中呼ばなくても、しゃけぞうさんだけはぼっちで出席してもらいますから!!!」
「マジでやめろ!!!」

恩はいいから貸してる漫画返せよ、と言いかけたところで宮下の興味は岡島に移っていることに気づいた。

「岡島さん、わたし岡島さんの彼女さんに一度お会いしたいんですよ! あの『オタクに優しいギャル』と噂される彼女さんに!」
「あれ? 俺きみの先輩だよね?」

二人の会話をぼんやり眺めてると、退店の時間が来た。
コートを壁掛けから外していると、ふいに伊藤から「ねえ、大丈夫?」と話しかけられた。
「え? 今日はそんな飲んでないよ」
「じゃなくて、いやその……最近。Twitter荒れてたし」
「ああ……」

サークル用の鍵アカウントも、この名義で公開しているアカウントも、つぶやきの内容は大差ない。ゲームや漫画の話がほとんどだ。
ただ少しだけ、先の見えない人生への絶望や、悪くなり続ける自他の環境、自分という人間への呪い……それが具体的になったぐらいだ。

「全然ダメだね」

俺は笑って答える。伊藤は「おいおい」と困惑を口にするが、俺の冗談めかした話し方のおかげだろうか、彼女の声にも笑いが含まれていた。
「まあ、なんとかするさ」とだけ言って、「2次会どうする?」とスマホを弄りながら無理矢理話題を変える。

だって、面と向かって人生への不安なんかを語れば「ガチ」じゃないか。
対面ならヘラヘラしながら話せばいい。
テキストだったらジョークで済ませられる。
そんな気がする。
言葉にしなければ潰れてしまうが、真剣に伝えて迷惑をかけたくない。だからTwitterに流す……十分迷惑なんだろうけど





──なんだこの話は?

書き直せ、今すぐ。






-----





……。

…………。

………………。

……ああ、この章に辿り着くまでに2か月もかかってしまった。

もうダメだ、楽しい話はもうどこにもない。
この先は読むな。何も意味がねえ。
俺はもっと……愛すべき友人たちのおもしろおかしいエピソードを踏まえて、人生なんとかやっていこう、みたいな文章を書きたかったんだ。
でもダメなんだ。
繰り返すぞ、読むな。


5年以上は前から「変わらなければいけない」と漠然と思っていた。
この付きまとう自己嫌悪と自己愛と無気力、そういうのにアルコールと人間関係で蓋をして、騙し騙し生きていた。
ところが友人たちはそれぞれの人生を歩んでいく。
この関係も、あと数年で終わりだろう。

新しい友人をつくる──?
もしくは人生の伴侶を──?
違う、そういうことじゃない。
俺が他人に親切にするのは、「自分の人生と向き合いたくない」からに過ぎない。
いい加減にしろ。

お前の自殺願望だって、ただの逃避だ。
憧れて就いた仕事に逃げようとしたら、その仕事が誰の役にも立たないカスみてえな仕事と来たもんだ。
発狂しそうになりながら、でも「俺にはこれしかできない」と思い込みながら、日々クソみてえな労働をしている。
逃げ場はない。

勝手に彼らの幸せを「恋愛・結婚」と定義している自分がいる。
それなのに自分の幸福や目標は、そこにはないと考える。
この傲慢さはなんだろう。
自分にもその未来がなかったわけではないのだろう。
だが押し入れに詰め込んだ自分の性根が、あるいは過去のトラウマが、普通に生きることを拒む。

どうしてここまでして生きていなくちゃいけないんだろうな。ただ、友人の幸福に影響があってはいけないと、それだけを理由にしている。
まあ、大して影響はないのかもしれない。
はあ、やっぱ死ぬか。誰も気にしねえしな。

──こんなことを、前にも言った記憶がある。
そうだ、就活の時だ。
岩崎と佐々木に無理やり連れ出された酒の席だ。
「気にしねえ訳ねえだろ」
いつになく真面目な様子で、佐々木に説教をされた。
結局、生きることにした。
彼らの言葉がなくても、臆病者の俺はきっと生きていたのだろうけれど。
あの時の感謝の言葉を、ちゃんと伝えた記憶がない。
もしくは「俺に人生を語ったお前らはその後二人で風俗街に消えたけど、アタリは引けたかい?」という、どうしようもないオチでもいい。
あの夜の俺は「ヒトの金で風俗行ったらいよいよ終わりな気がする」というよく分からない理由で断ったけど。

結局、人のために生きるしかないのだろうか。
生きてればそのうち、誰かを助けられるのだろうか。
そのためだけに辛い思いをして生きるほど、自分は強い人間ではない。

生きるのが辛い。
助けてくれ。
でもお前の助けはいらないんだ。
俺が自分でなんとかするしかないんだ。



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……このクソ文章を締める言葉が見つからない。

見つけたら、書く。

言い訳を探して/Kさんの話

最悪の日曜日が終わり、最悪の月曜日が始まる。
この日曜日がどう最悪だったかというと、月曜日との違いがよく分からないのだ。
在宅での仕事が終わったのは、出社する1時間前。それまで水曜からずっと家でカンヅメになっていた。頭をかきむしり、紙の資料を鷲掴みし、半ギレでキーボードを叩いていた。
なぜこんなに時間のかかる仕事を投げられたのか。いや、こんなご時世に仕事をもらえるだけ恵まれている。自分にそう言い聞かせる。他人からそう言い聞かされてきたから。
床に散らばる資料の山を蹴飛ばし、服を脱ぎながらユニットバスに向かう。
狭い浴槽に身を折り曲げて溜めていた湯に浸かり、大きくため息をつく。休日開始。
風呂の栓を抜いて湯を捨てる。休日終了。
ほとんど思考は働かないまま、この数年で培ったルーチンワークの通り身体は支度を整えていく。
俺はガンガンと痛む頭を抱えながら鞄を乱暴にひっつかんで家を出た。
ここで記憶は途切れている。





……気づけばあたりは暗くなっていて、アパートの玄関の前で鍵を探している。
鞄の内ポケットから部屋の鍵を引きずりだすと、俺は3歩歩いて万年床に身を投げ入れる。
あまり覚えていないが、どうやら月曜日は終わらせることができたらしい。
この息苦しさをコロナウイルスへの感染のせいにしてしまいたかったのだが、家に着いてマスクを脱ぎ捨てるとたちまち治ってしまった。

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ストレンジャー・イン・コミケット

秋葉原をぶらついてみたが、やることがまるでない。



主張の激しい同人ショップや馬鹿でかいゲーセンや得体の知れないパーツショップに囲まれる。
そりゃあ「あからさま」な人もいるが、行き交う人々はむしろ外国人の方が目立つ。
俺はどこか寄る辺なさに身を苛まれ、あてもなくひとり歩き続ける。
昔はモニタの向こう側の世界でしかなくて、憧れとも嫉妬ともつかない感情を抱いていた土地なのに、いざ来てみると皮肉なものである。
理由がないまま、ここに来た。


俺はオタクだった。
今もオタクと呼ばれる存在かもしれない。
だが、前とは確実に別のオタクだ。


「オタク」というのは単なるアニメ趣味ではなく、考え方や生き方の問題である。
「あるもの」に対してのみ興味関心愛情を向け、それ以外のものを犠牲にするような人間を指す。
世間とも上手く付き合える人間はマニアと呼ぶそうだ。
では、その「あるもの」がスッポリと抜け落ちたときに「オタク」はどうなる?
偏執的な性質を抱えながらそれを何にも向けられない――
要するに、ただの生きづらい人間。それが今の俺だ。
ケバブをかじりながらそんな風に物思いに耽っていたのが、去年の秋頃だったか。

「オタクの聖地」でのこの記憶は今もまざまざと残っているのだから、ましてあの「オタクの祭典」で今の俺がどんな気持ちになるかなんて、分かりきっている。
この先ずっと縁のない存在になってしまったのだろう。
しかし、俺が最も愛するゲーム『OneShot』の同人誌やアレンジCDが出るという情報をうっかり手に入れてしまった。
……欲しい。
たとえまた孤独を実感する結果になっても。
それに、「いつかやっておかなければならないこと」をするのにも丁度いいタイミングだ。




そうだ、



コミケに行こう。

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変えられない自分と最後のプロデュース

痛みはないが鬱陶しい。
いい加減、半端に生えた親知らずに別れを告げることにした。
近所の歯医者を探すが、それより保険証はどこに行ったろうか。
六畳一間を引っ掻き回せばすぐに出てきた。ついでにこんなものまで出てきた。
 
f:id:shakeflakezousui:20180322220207j:image
 
アーケード版アイドルマスターのプロデューサーカードとユニットカードだ。
最後にプレイしたのは、俺の記憶が正しければ、9th名古屋ライブ前のはず。
つまり2014年の8月から、3年以上にわたってこのカードは使われることなく眠っていた訳だ。
 
そうか、そういえば、俺は昔プロデューサーだったっけか。
その肩書の意味について随分と悩んだこともぼんやり覚えている。
返上したりまた名乗りだしたり、無意味な繰り返しもしてきたものだ。
たかが名前にこだわるのも馬鹿らしくなりファンであることを気負うのは辞めた。
今ではその「ファン」さえ辞めてしまったのだが。
 
理由は単純。あるキャラへの熱が冷めたから。
人生で初めて何かに本気になったせいか、「想いが消えた」という事実を認めるのにかなりの時間を要した。
どう言い訳しようと結局、疑似恋愛感情でしかなかったのだろう。
そのキャラについて考えたことはいくつか形として残している。
俺自身はともかく、思考の跡まで消すのは忍びない気がしたから。
あのときの自分の全てはこの文章(とも呼べないものも混じっているが)に置いてきた。
だから別にアイマスを辞めたという選択に後悔はないし、もう戻ることはない確信もある。
 
手元のユニットカードに目をやる。
俺のアイマスは終わった。
だが、「この世界」の彼女は違う。
 
 
俺のアケマス初プレイ時、こんなことがあった。
筐体の不良により途中でゲームがフリーズしたのだ。
やむなく新たなデータで再プレイすることになったのだが、やり直す前のプロデューサーカードとユニットカードは捨ててしまった。
なぜああしたのか、今でもよく分からない。
 
俺はあのとき、その世界の彼女と自分を殺したのだ。
都築未来と、彼女をプロデュースする「しゃけぞうプロデューサー」を。
「虚構世界は現実ではない」と人は笑うだろう。
しかし一人の少女のアイドルとしての可能性を奪ったのは事実である。
現実であるかどうかなんて、主観でしかない。
今、俺の目の前にあるカードのデータである彼女は、売れないアイドルのまま引退すらできず時を止められている。
もうプロデューサーですらない、俺ごときの手によって。
彼女にはエンディングを迎えてもアイドルを続ける未来が待っていることは俺も知っているのに。
ならば、やることは一つではないか。
 
彼女のアイドル活動を終わらせてやらなければならない。
 
もう一度言うが、俺のアイマスはすでに完結している。
再びプロデューサーを名乗ることはないだろう。
だがそれはあくまで俺の話であり、無関係な彼女を巻き込むわけにはいかない。
止まった世界で宙ぶらりんの彼女を、新たな世界へと送り出さねばならない。
一度でもプロデューサーの肩書を名乗ってしまった自分へのけじめとしても。
幸いなことに無職なため平日の今からでも動き出せる。
こうして俺はいまだアケマス筐体が稼働しているゲーセンへ向かった。
 
 
センチメンタルが過ぎると、自分でも思う。
 

就活に向いてなかった話

※就活生の方へ
これは「自己PRなんて自分のような屑には許されない」的な思考が働くタイプの人以外には役に立ちません
もっと言うと「自分は就活自殺とかするタイプだ」という自覚のある人間向けです
しかも無駄に長いのでそれよりも
この小説読んでお帰りください
がんばってね
 
 
 
今日は2018年3月1日。
2019卒就活の企業エントリー開始が始まるそうだ。
懐かしい、俺もほんの少しだけ就活生だった時期がある。
その年はかつてない売り手市場で、最終的な内定率は97.6%だったという。etiquette-fragile-avec-verre-105x74mm-500.jpg (600×600) 
「つまり、俺は選ばれし2.4%な訳よ」
卒業後、就職した友人達と酒の席で冗談めかしてそう言った。
ゲラゲラと、なるべく下品に笑ってみせる。
あの真っ只中なら「笑ってる場合か」と説教かましてきた奴も一緒に笑う。
 
「まあ、出来るなら就職なんてしない方がいいんだよ」とひとりがぼやく。
「働くことなんて何のメリットもねえよ、金が続く限り遊ぶべきだ」
彼は面接で例の逆質問で「有給はちゃんと取れますか」と後ろめたさも感じずに聞いたらしい。
海外旅行にさえ行ければどこでもよかった、という彼はなぜか内定の出たその会社にさっさと決めてしまった。
その人間性が露呈したからかどうかは不明だが、今では僻地に飛ばされ絶望しながら会社員をやっているそうだ。
 
ここの奴らは、それぞれ多様な決定をした。
「さっさと生涯年収を稼いで田舎で暮らす」と豪語し某大企業に行った奴、最後まで志望業界が迷走した結果友人にそそのかされてITに辿りついた奴、幼い頃に命を救われた職業に就いた奴……
 
一方2.4%の選ばれし俺は、何も決定できずにここでただビールを飲んでいた。
「昔だったら俺も『どうせいつかは働かなきゃなんないのに、なんで今動かないんだ』とか言ったけどさ」
居酒屋のメニューを見ながら田舎暮らしが言う。
「でもそういうことじゃないんだよね、すぐに選択することが偉い訳でもないんだ、将来について考える時間はいくらあっても足りないんだから」
頼むものが決まったらしい。
彼は呼び出しボタンを押した。
即断即決。
ラストオーダーが近いためとはいえ、人に言ってることと自分のやってることが真逆だ。
 
彼自身はそういう奴だから、真逆の俺に気を遣った台詞なのだろう。
思いやりが痛い。
曖昧な励ましなんて辛くなるだけだ。
……そんなことばかり考えるから2.4%になったのかもしれない。
結局、就活とはなんだったのだろう。
今でもときどき、考える。
 

全ての「創作上のキャラクターに愛着を持ったことがある人間」に告ぐ。稀代の名作『OneShot』をプレイしろ


 AUTOMATONのレビュー記事でこの作品を知った時から「絶対面白い」という予感がしていた。公式に日本語訳が決定したときは狂喜したし、昨今のゲームシナリオにおける欠点を考えていたときも「だがあの作品は違うはずだ」と信じていた。そしてついにプレイするときがやってくると、その作品は俺の上げに上げまくったハードルを悠々と飛び越えてしまった。
 OneShotは、俺がここ数年(下手すりゃ十数年)プレイした中で最も衝撃的なプレイ体験を与えた紛れもない名作だ。
 さあ皆も今すぐプレイしよう!!!! たった980円だぞ!!!!!!

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 さあ!!!!!!!!!!!




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 早く!!!!!! さあ!!!!!!!!






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 さあ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!









 ……なんてやっても誰も買ってくれないのは知ってるよ。
 この作品は基本的にネタバレ厳禁で「いいから黙ってプレイしろ」というのが最適解で可能なら事前情報すらゼロでやってほしいのだが、そうなると人に作品を薦めるには「俺の感性を信じろ」というより他がない。そりゃ土台無理な話である。
 つー訳で、多くのメディアに紹介されている範囲内の情報も交えつつ「この作品のなにがそんなに面白いのか」を語ってみたいと思う。ただまあ、俺は「面白さ」の言語化が苦手だしその行為は割とナンセンスだと思ってるひねくれ野郎なんで、方向性を間違えるかも。ごめんよ、ごめんやで。

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