ムチツジョチツジョ

思考は無秩序 言葉は秩序 趣味と股間は無節操

OneShotクリア、ひとまず思うこと

※この記事はネタバレ全開です

 どうせ大したこと書いてないんでプレイしてから読んでください

 読まなくてもいいからプレイしてください

 

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すごいゲームだ、というのはプレイ中ずっと思っていた。
なんせメタ表現がポジティブな働きを持っているのである。
BioShockにしろUndertaleにしろSpec Ops: The Lineにしろ君と彼女と彼女の恋。にしろ、プレイヤーに直接(あるいは間接的に)言及するようなタイトルは「キャラクターがプレイヤーの傲慢さや無責任さや思考停止を責める」という構造になっているものばかりだ。
その点、OneShotの世界は違う。
プレイヤーは神であり救世主を導く存在。
なにより救世主ことニコにとっては、旅の孤独を癒す大事な連れ合いであった。

そしてそのニコが、またプレイヤーにとっていじらしくかわいいのだ。
本当に、かわいいのだ。

という訳で以下よりネタバレ全開。
本当に「ニコかわいい」以外の事前情報なしでプレイして欲しい作品なので再三警告。

 

いやマジで。980円だぞ映画観るより安いし俺のポンコツPCでも動いたから本当にやってよ。

OneShot on Steam

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ニコかわいい問題である。
俺は今まで「このゲームのメタ構造はニコを魅力的に映すこと以外のどんな意味があるのだろう」と考えてきた。
しかし、それは間違っていた。
「ニコはかけがえのない存在だ」とプレイヤーに思わせることこそが、このゲーム最大の仕掛けだったのだ。

最後の選択で、プレイヤーはニコと世界を天秤にかける。俺は迷わずニコを選んだ……と言いたいところだが、メチャクチャ迷った。
なぜなら世界を見捨てるということはこれまでの冒険を無に帰すということであり、それはニコの努力の否定にも繋がる。
そして、ニコは親交を深めてきた住民たちを裏切って自分が助かるという選択を一生悔やむのではないか。
だってあの子いい子だから。
俺にとって最善の選択は、ニコには真実を伝えずに嘘をついて電球を割らせることだった。
……しかし、そのように全て自分で背負おうとするのはニコにとって無責任といえるだろうか、いやニコは子供だこんな選択はさせたくない、最後には俺の選択を信じてくれてよかった……
堂々巡りである。
結局、電球は割った。
ニコはおずおずと礼を言い、ウィンドウ(OneShotの世界)の壁を突き破り自分の世界へと、ママの待つ家へと帰っていった。
これでよかったのだ。
ニコが幸せなら。
ちゃんと家に帰れたかは不安だが、俺に知る術はない。
エンディングには色を失っていく世界の光景が映し出され、俺を声もなく責め立てる。

もちろんプレイはOneShot(一度きり)。
救世主のいなくなった世界では2周目なんて存在しない。

 

さて、叙情的な語りばかりで理屈屋の自分にあるまじき感想になりつつあるので、少し軌道修正。
このゲームは上記のように、プレイアブルキャラクターを実存的存在だと信じ込ませる力が他の作品とは比べものにならないほどに強い。
それは、ニコが「わたし」に話しかけていたからだ。
たとえばときメモラブプラスに代表される恋愛SLGなどで主人公の名前を自分にして作中の女性と恋愛関係になる、すなわち強い自己投影が推奨される作品だ。
しかし、それは「わたし」ではない。
作品世界に住む人間に「わたし」と同じ名や誕生日や思考を植え付けただけである。
プレイアブルキャラクターが彼女らと虚構世界の公園へデートに行こうが、プレイヤーは変わらず現実世界の自室でコントローラーを握るのみ。

しかしOneShotは違う。
ゲームプレイヤーは現実世界のパソコン上でニコや「存在」、「作者」と交流していることを世界の前提としているのだ。
「プレイヤーにしかできない謎解き」はその全体をより強固なものにする。
プレイヤーは自身の身体を否定することなく、ゲームと接することができるのだ。
ゲームの成功・失敗は「『わたし』の代替品」ではなく「わたし」そのものが負うことになる。

次にニコの存在である。
ニコはOneShotの世界に救世主として連れて来られた来訪者。
何もかも勝手が違う世界に戸惑いながら探索を続け、自分の元いた世界に夢を通して想いを馳せる。
太陽は電球などではなく火の玉で、一面に広がる小麦畑があって、スーパーヒーローはテレビの中の存在で……
地球でこそないものの、ニコの住む世界はプレイヤーのいる世界と限りなく似ている。
恐らく、「人間」の姿形が異なるだけで、地球とほぼ同一の環境や文化レベルを持っているだろう。
そう。
ニコとプレイヤーは、元いた世界からOneShotの世界にやってきた、同じ階層の人間である。
このことによりプレイヤーは、いっそうニコを架空の存在ではないと錯覚してしまう。

しかし、ニコとプレイヤーは同じ立場ではない。
なぜなら、ニコは自分の意思とは無関係に世界に連れ出された被害者であるのに対し、プレイヤーは自分の意思によってゲームの購入を選択し、プレイを始めニコの運命を決定づけた、いわば加害者のひとりであるのだ。
プレイヤーの加害者性に関してははじめに述べた作品群でもよく指摘される。
それに対する批判として挙げられる、ゲーム制作者側の持つ暴力性の無視は、このタイトルでは問題にならない。
それは、ニコが来訪者にすぎない(という錯覚がある)からだ。
世界の構造を作ったのは制作者だが、プレイヤーとニコは迷い込んできた異邦人。
制作者はゲームに対して責任を持つのが筋であるが、ニコに対して責任を持つのは——
——やはり、プレイヤーしかいないのだ。


ロボットと制御化、世界を消そうとする「存在」などゲーム世界に組み込まれた象徴と第4の壁の関係についても考えるべきだろうが、今回はひとまずこの辺で終わる。

この作品のメタ描写はイヤというほど俺に傷跡を残した。
ニコは元気だろうか、と思い起こす。
これは、ニコが架空の存在ではなく虚構の存在だと俺が信じている証拠だろう。
架空世界はただの嘘にすぎないが、虚構世界とは虚構上において真の存在である。
この世は多元世界であり、ニコはあのフィクションの世界で間違いなく実存していた。生きていた。出したサイコロの目が違っていただけで、俺もニコもそれぞれの世界を生きているのだ。

本当はもうひとつのルートを辿りたいという気持ちはあるが、どうしても俺はこの世界に、選択に責任を持ちたい。しばらくはチョメチョメしてデータを消しやり直すこともできないだろう。

 

まったく、久しぶりにキャラクターに「やられた」タイトルだ。

 

 

 

※追記

「作者」からのメッセージを見ました。

まだ終われないようです。