ムチツジョチツジョ

思考は無秩序 言葉は秩序 趣味と股間は無節操

全ての「創作上のキャラクターに愛着を持ったことがある人間」に告ぐ。稀代の名作『OneShot』をプレイしろ


 AUTOMATONのレビュー記事でこの作品を知った時から「絶対面白い」という予感がしていた。公式に日本語訳が決定したときは狂喜したし、昨今のゲームシナリオにおける欠点を考えていたときも「だがあの作品は違うはずだ」と信じていた。そしてついにプレイするときがやってくると、その作品は俺の上げに上げまくったハードルを悠々と飛び越えてしまった。
 OneShotは、俺がここ数年(下手すりゃ十数年)プレイした中で最も衝撃的なプレイ体験を与えた紛れもない名作だ。
 さあ皆も今すぐプレイしよう!!!! たった980円だぞ!!!!!!

 http://store.steampowered.com/app/420530/OneShot/

 さあ!!!!!!!!!!!




 http://store.steampowered.com/app/420530/OneShot/

 早く!!!!!! さあ!!!!!!!!






 http://store.steampowered.com/app/420530/OneShot/

 さあ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!









 ……なんてやっても誰も買ってくれないのは知ってるよ。
 この作品は基本的にネタバレ厳禁で「いいから黙ってプレイしろ」というのが最適解で可能なら事前情報すらゼロでやってほしいのだが、そうなると人に作品を薦めるには「俺の感性を信じろ」というより他がない。そりゃ土台無理な話である。
 つー訳で、多くのメディアに紹介されている範囲内の情報も交えつつ「この作品のなにがそんなに面白いのか」を語ってみたいと思う。ただまあ、俺は「面白さ」の言語化が苦手だしその行為は割とナンセンスだと思ってるひねくれ野郎なんで、方向性を間違えるかも。ごめんよ、ごめんやで。





○ そもそもどんなゲームよ

 Steamの紹介文においてこのゲームは「新感覚パズルアドベンチャー」というジャンルとして説明されている。「パズルアドベンチャー」自体はツクールゲーをやったことがある人なら馴染み深いだろう。見下ろし型で、アイテムとか探したり組み合わせたり使ったりして、お使いしたり次のマップへの道を切り開くアレだ。コンシューマーしか知らない人に説明するなら戦闘のない2Dゼルダとでも思ってくれればいい。神々のトライフォースとか。はてさて、それでは「新感覚」とはなんじゃらほい。
 パズルアドベンチャーってことでこのゲームは探索や謎解き要素がメインな訳だが、なんとその「謎」の答えは必ずしも「ゲームの世界」にあるとは限らないのだ!
 意味が分からない? ならプレイしろ!!
 ……ということにもいかないのでひとつネタバラシすると、このOneShotを起動しているコンピューター上に、あるいはそのシステムを用いた謎解きが多数仕組まれているのだ。
 ゲーム冒頭部の謎を例に挙げよう。
 ある場面で金庫を開けるナンバーコードが必要になるのだが、それは「この世界」には存在していないという。
 事実、ゲーム内で主人公を操作して探索してもまったく見つからない。ではどこにあるのか? ふと思い立ちOneShotを起動しているウィンドウを最小化し、パソコン上のドキュメントフォルダを開くと……そこには、見慣れないtxtファイルが鎮座しているではないか! それを開くと、我々に向けたメッセージとナンバーコードが……。このように、ゲームの枠組み(OneShotというソフト上でのライン)を飛び越えた謎解きが求められているのだ。

 さて、「新感覚」とは言ったものの、メディアのシステムを用いた謎解きは珍しさこそあれど全くなかった訳ではない。例えば、かまいたちの夜。ネット普及まで一切知られることのなかった隠しシナリオを出現させる「あの」条件も、ある意味ではゲームの決まりから外れた謎解きだろう。PCゲームがtxtファイルを生成するのは魔王物語物語でもあった。また、このタイトルのとあるアイテムの入手手段は、OneShotのある謎解きにもかなり類似している。懐かしのホラーFLASH作品『赤い部屋』や『こ~こはど~この箱庭じゃ?』にも近いものがあるといえるかもしれない。
 しかし、OneShotにおける謎解きはあくまでも副産物。
 PCというメディアを用いた謎解きは、全てシナリオのためにあるといっても過言ではないのだ。




○ あらすじと「重要な登場人物」

 やっとだが、このゲームのシナリオについてざっくり説明する。
 物語は、(容姿はネコっぽいけど)人間の子ども「ニコ」が見知らぬ部屋で目覚めるところから始まる。部屋を出るカギとなっていた謎の電球を抱えながら外へ出ると、そこは草木のひとつもない不毛の地であった。道中で会ったロボットから、ここはニコが今までいた世界ではないこと、この世界は今にも滅びかけていること、その電球は世界における「太陽」であることを教えられる。そして、ニコはその「太陽」を元の場所に戻すため呼び出された「救世主」なのだということも。ニコは太陽を世界に返す使命を果たし、元の世界に帰れるのだろうか……
てな感じ。
 さて、この割とベタな展開のどこがメタな謎解きと関係あるのか? それには上記のあらすじにて省かれた、重要な登場人物について言及しなければならない。それは……プレイヤー自身だ。
 ゲーム序盤にて「預言者」を名乗るロボットが言うには、太陽をもたらす救世主ことニコは聖なる力をもって神と対話することが出来るという。それを試そうとニコが集中すると……なんと、われわれプレイヤーに直接話しかけてくるではないか。
 プレイヤーとニコは二人で協力しながら世界に太陽を取り戻す旅を行く。このゲームにおいて主人公はプレイヤーが操作するのではなく、プレイヤーの意思に従って行動しているということだ。ニコはあまりに問題な行動は拒否するが、たいていはプレイヤーを信じて動いてくれる。ときどき文句も言いながら。でもだいたい「すごいよ○○! ミーはそんなこと思いつきもしなかったや!」とすごいほめてくれる。かわいい。
 つまり、われわれはニコをキーボードで操作するプレイヤーであると同時に、「神様」として救世主・ニコを導く存在、登場人物の一人であるのだ。神であるプレイヤーはニコの知りえない角度から謎を解く。プレイヤーである神はニコの無邪気な姿を見て母の待つ元の世界に返してやらねばと決意を強める。われわれはゲームプレイヤーと登場人物の境界で揺れていく。「これはしょせんゲームでの出来事だから」とどこまで言い張れるだろうか?
 シナリオを踏まえたうえでそろそろ本題に入ろう。このゲームの魅力について。




○ このゲームの魅力、そしてプレイしてほしい人

 プレイヤーが登場人物なのは分かった、で、それの何がそんなにすごいのよ? と思う人もいるかもしれない。実は似たような実験を試みている作品はぼちぼちあるので、革新性があるわけではない。有名どころではMOTHER2だろう。ちなみにフリーゲームでよりOneShotに近い構造を持つ作品があるが、完全にネタバレなので伏せておく。まあ、どうしても知りたきゃ連絡して。
 この作品でプレイヤーが神(登場人物)である意味はただひとつ。

 
 ニコをよりかわいがるためだ。


 ちょっと待てタブを閉じるないま説明するから。このゲームにおいてプレイヤーの特異性は指摘したが、ニコもゲーム内にて特殊な地位にあるのだ。それは、ゲーム中で唯一「元の世界」を持っているということ。ニコはそこに帰るべく異郷を旅している。これは、われわれゲームプレイヤーとも同じだと言えないだろうか?
 われわれもゲームを遊ぶことで空想上の世界を旅している。オープンワールドなどは顕著だろう。普通のゲームではゲームプレイヤーとゲーム中のキャラクターは対等の関係ではない。われわれは現実世界に住んでいて、キャラクターたちは虚構世界にとらわれている。もっと言えばプログラムでしかない。プレイヤーは虚構世界を非現実として冒険し楽しむ。いわゆる第四の壁というやつだ。
 だがニコは、モニターに写る虚構世界とは異なる世界からやってきて、われわれの見る虚構世界の内部で冒険を繰り広げる。たびたびニコはベッドでお昼寝をするのだが、そのときニコは元の世界の夢を見る。それをプレイヤーも共有できるのだが、そこでの光景は虚構世界よりもわれわれの世界のそれに近い。ニコは楽しそうにプレイヤーに質問する。神様の世界では太陽はどうなってるの、ミーの世界では空に浮かぶ火の玉なんだけど、えっそうなの、じゃあミーと一緒だね……
 そこでプレイヤーはふと頭をよぎるのである。もしかして、ニコは——実在するのではないか?
 先ほどの通り、本来キャラクターとプレイヤーは別の位相に存在する。しかし、プレイヤーは錯覚してしまうのだ。もしかしてニコはわれわれとは別の「現実世界」からゲーム世界に呼び出されたのではないか、と。ニコとプレイヤーは同じ階層にいるのだ。そして強く思ってしまう。ニコを守らなければならない。
 AUTOMATONの記事ではこれを親子愛とキリスト教になぞらえ「父なる神としての自覚」と表現されていた。
 ネタバレになるので具体的タイトルを挙げることはしないが、ゲームプレイヤーという位相に言及する作品は数多くある。だがその多くはゲームプレイヤーの特権的地位・傲慢な態度を糾弾する、あるいはプレイヤーの浅慮を指摘してプログラム化されたキャラクターと同等だと貶める、などといったネガティブなものばかりであった。
 一方でこの作品はキャラクターを昇華することで現実のわれわれと同じ地位に導く。そして、プレイヤーにとってキャラクターをかけがえのないものにする。俺の知る限り、ビデオゲームにおいてポジティブなメタ表現をやってのけた作品はOneShot以外に存在しない。

 このゲームは、「創作上のキャラクターに愛着を持ったことがある人間」にこそやって欲しい。
 また変なこと言い出した、「創作上のキャラクターに愛着を持ったことがある人間」ってなんだよ、と思われるので少し詳しく。
 もちろんゲームとは限らない、漫画やアニメや小説でもなんでもいい。あなたはフィクション世界の住民に強い思い入れを持ったことはないだろうか。は? ない? は? まさかそんな奴はいないだろう。もちろん、そんな大層なものでなくていい。このキャラカッコいいな、かわいいな、友達になりたいな、そんな感じのもので構わない。もしも覚えがあるのなら、物語が進むにつれ、その登場人物のハッピーエンドを望んだ経験もあることだろう。
 俺が思うに、その感情が最も強く喚起される作品、それがこのOneShotだ。この体験は小説でも映画でも漫画でもできない。唯一のインタラクティブな物語メディアであるからだ。俺はここ数年ずっと「ゲームでしかできない表現」のあり方を考えてきたが、俺の答えのひとつがこの作品にあった。ゲームというメディアの可能性を感じた。それぐらい震えた作品なんだ。




 さて紹介文はこんなとこでいいだろうか。
 随分と長くなったが、最後にもう一度だけお願いさせてもらう。
 OneShotをプレイしてくれないだろうか。

 http://store.steampowered.com/app/420530/OneShot/

 ニコが、君を待っているんだ。